きょうの きみ 。

ただの独り言 。

あの時の記憶と後遺症。

 

2021年ももう終わり 。

 

今年1年は去年に比べればとても平和だった。

 

本気で死にたいと思うことも無くなったし、左腕に傷をつけることもなかった。

 

調子が悪くて涙が止まらない日は沢山あったけど、それでも希死念慮は本当に減った。

 

きっとこれは就職、就活への覚悟ができて、未来に希望や余裕が感じられるようになったこととか

彼氏がとてもいい人で、メンタルを左右される出来事が減ったからだと思う。

 

それでもやっぱり、苦しくなると飛び降りた時のことを思い出してしまう。

 

強く感じる鼓動、高揚感と絶望と希望、全てが混ざりあってぐちゃぐちゃで、でも頭ははっきりとしていて冷静で、今からすることがいかに、狂気に満ちているかも分かっていて、それでも、ベランダに腰かけた瞬間の、もうここまで来てしまったら戻ることは出来ない。行くしかないんだという、強い覚悟。

 

飛び降りてしまった後の両親や友達を悲しませてしまった後悔、大変な時期なのに余分な仕事を増やしてしまった医療関係者の方々への罪悪感、飛び降りた先にあると思っていた希望が打ち砕かれて再び同じ世界に引き戻されてしまった絶望感、全身に感じる、今まで経験したことの無い、意識が何度も飛ぶほどの痛み、リハビリの苦しさ。

 

今でも全て鮮明に思い出せる 。

 

あの時の私は確実に現実離れした狂気に満ちていたし、今過去に戻れるとしてもあの時の自分は止めることは出来ないと思う。それほどの強い覚悟が確かにあった。

 

 

2階から飛び降りた。と話すと、そんな高さで死ねるわけないのに馬鹿だね。と高確率で言われる。

そんなこと私だってわかっていた。死ぬ気なんて1ミリもなかった。なんなら、怪我を負うつもりもなかった。

何を言っているのか理解できないとは思うが

ただ、‘’自殺未遂をした”という事実が欲しかっただけだった。

 

自殺未遂をすれば 、周りが構ってくれると思った。

自殺未遂をすれば、世界がもっと私に優しくなると思った。

自殺未遂をすれば、それだけでこの苦しみから救われると思った。

 

今考えれば 、助けて欲しい。といえば助けてくれる人なんて周りにいっぱい居た。親も友達も精神科の担当医もきっと助けてくれた 。

 

でもあの時はそんなことを考えられないぐらい視野が狭くなっていて、自殺未遂をしないと私は助からない。と思っていた。

 

私は自殺未遂に強い希望を感じていた。

 

実際 、自殺未遂をした後、優しくしてくれる人はたくさん居た。看護師さんは常に私のことを気にかけてくれた。親も優しくなった。友達もたくさんお見舞いに来てくれた。

 

でも、それよりも自殺未遂をした。となると

どうしても、やばい人だ。と思われることの方が多かった。軽々しく他人には言えない。言ってしまったらどこかはれもの扱いされる。

 

これはもう消せない過去であり 、一生隠していかなければいけない。

 

私はもう、世間一般からは外れた所にいる。

 

この過去がある限り 、普通の人にはなれない。

 

自殺未遂には希望なんて存在しない。

 

 

そして、1年半たった今でも、後遺症に苦しんでいる。

 

階段を下るのも手すりがないと降りるのが怖い。走ることも出来ない。背伸びをすることも、上にジャンプすることも、しゃがむことも苦しい。長時間歩くとも出来ないし、歩き方は歪。

 

今はもうリハビリをしていないのも悪いんだけど、正直ここまで後遺症が残ると思わなかった。

 

松葉杖を使わなくなっても最初は長くても2時間ぐらいしか歩けなかった。

足の痛みを我慢しながら歩き続けていたら

歩ける時間は伸びて、今はギリギリ丸一日歩けるまで歩けるようになったけど、次の日はもう痛くて歩きたくない。

泊まりの旅行は嬉しいけれど、次の日は正直疲れと足の痛みであまり楽しめない。

 

2階からの高さでこんなことになるだなんて思ってもみなかった 。こんなに長く苦しむことになるだなんて思ってなかった。

 

でも、後遺症に苦しんでいる今も、私はもう二度と自殺未遂をしない。と言いきれない 。

 

希死念慮は減ったとはいえ 、なくなることは無いのだと思う 。

 

私は一生 、これを抱えながら、誤魔化しつつ生きていくしかないのだと思う 。